わたしの出産顛末記

12月25日0時19分に3460gの男の子を出産しました。
以下、わたしの出産の記録です。
予定日超過5日目のクリスマスイブ、午前8時30分に入院。病院に着くなり服を着替えて子宮口を開くためのバルーンを装着して陣痛促進剤の投与開始。数時間後に陣痛が始まる。まずは、バルーンが外に押し出されるまで子宮口が開かないと始まらないので、痛みに耐えながらひたすら待つ。・・・何度チェックしても開き具合が悪くて助産師さんに「今日中に産むのは無理かなぁ」と言われる。
夕方近くなって、やっとバルーンが取れる。とりあえず、16時までは促進剤を投与してみて、それでも進まないようだったら明日、また続きをしましょうということになる。正直、この時点でかなり疲れてい「明日でいいからこの痛みから解放して」と思っていたら点滴を止めても自発的に陣痛が起こっていることが判明して、そのまま痛みと戦うことになる。助産師さんに腰をさすってもらいながら、「わたしよりも赤ちゃんの方が痛いんだから」と言い聞かせつつ、ソフロロジー教室でならった呼吸を繰り返す。
そんな時、サンタクロース登場!クリスマスということで、院長先生がサンタに扮装して、プレゼントを配りに来たのだ。陣痛の合間のかろうじて体が起こせるタイミングにボッサボサの髪のまま、周りのスタッフとともに記念撮影。「上ではクリスマスパーティーだよ。あなたのケーキも取っておいてあるからね」と言われ、力なく笑うわたし・・・。
夜になって、やっと子宮口が8cmほど開いて分娩室に移動。でも、赤ちゃんはほとんど下りてこない。赤ちゃんが下りやすい体勢をとると陣痛が遠のいてしまう・・・。朝からペットボトル半分ほどの水分以外何も口にしていないわたしはこの時点で肉体的にも精神的にもボロボロ。だんだん強くなる陣痛に、呼吸するのも大変になって酸素吸入。相変わらず赤ちゃんは下りてこず、「いきみたい感じ」も訪れない。「もう逃げたい」と思ったとき、突然分娩室が物々しい雰囲気に。助産師さんが自宅で待機しているダンナに電話していると思ったら、寝ていたベッドが分娩台に変わって先生が手術着に着替え、「吸引します」とのこと。わけがわからないまま言われた場所をつかんで、思いっきりいきむ。もう何を言われてるのかも良くわからないし、とにかく痛いしで、たぶん今まで出したことのない声を出して、気がついたら股の間から赤ちゃんがこんにちは。16時間近く痛みと戦って、産む瞬間は驚くほどあっけなかった。
その後、遠のきそうな意識の中、胎盤が出てくる。このとき、思いっきり血がはねて先生は返り血を浴び(まるで刃物で人を刺した時のように)、陣痛室は血まみれに・・・。どうやらこの胎盤とへその緒のつながっている部分に問題があったみたいで(助産師さんも見たことないという膜のようなものがあって、その部分のへその緒が弱っていたらしい)、赤ちゃんの心拍が下がったために急遽吸引することになったとの説明を受ける、その後皆さんが血まみれの部屋の掃除をしたりなんかしている時にやっとダンナが到着して赤ちゃんと対面。さぁ、家族写真を撮りましょうとなったところで事件!
分娩室の隣のオペ室が水漏れして分娩室から廊下から水浸しの洪水状態に!夜勤で手薄なスタッフの方たちが総出でバスタオルやらオムツやらで水をせき止めたり、業者に電話したりあわただしくなる。その様子をただ呆然と分娩台から見ているわたしと傍らのダンナと産まれたての赤ちゃん。結局業者が来て、とりあえず水が止まるまでの3時間弱、わたしたちはその様子を見守ったのでした・・・。その後、わたしは車椅子で部屋に運ばれて夜ご飯(22時間ぶりの食事)。午前4時にひとりで食べるクリスマスディナーは、ほとんどのどを通りませんでした。断水してたため、顔を洗うことも歯を磨くこともできないまま就寝。今まで生きていた中でいちばん長い1日だった。・・・入院中も、「洪水の夜に出産した人とその子供」として、いろいろな人から「大変だったねぇ」の声をかけてもらい、ちょっとした有名人になった気分。いろいろな意味で一生忘れることのできないクリスマスになりました。
でもやっぱり、赤ちゃんをだっこしていると本当に痛みなんて忘れる。授乳する度に愛しさが増してくる。最初はほとんど出なかった母乳が、出産の翌々日には溢れるほど出てきて、人間の身体って本当にすごいなあと思わされる。息子はまだ生後6日だけど、おっぱいを吸う力がどんどん強くなって、顔つきも変わってきて、日々成長を感じさせてくれる。だっこしたり、オムツを替える手つきもまだ、たどたどしいけど、母としてわたしも一緒に成長していきたいなぁ。夜、授乳中「言葉にできない」の

あなたに会えて ほんとうに良かった
嬉しくて嬉しくて 言葉にできない

のフレーズを思っては涙するママ1年生です。